喫煙者について
私は、当初の自己紹介の通り 喫煙者 である。多くの人から嫌われる立場にもいる。 しかし、今はやめようとは思わない。マナーやルールを守らずに吸う輩は私も嫌いだが、マナーやルールを守っているのに何故か文句を言われてしまうこともある。そこから、私は少しでも優しい人間になろうという考えを持った。ただでさえ、嫌われるようなことをしているなら良い印象で回りの喫煙者をリードし、こういう人間も吸っているなかではいるのだと。 やや意地になっていることもあるが・・・。 吸い続ける訳は、まだあるのだ。私の周りに喫煙者が多いというのも理由ではありますが、たばこというものは興味深いコミュニケーションツールであるということも理由だからだ。 喫煙所には、やや仲間意識という目には見えないが心で通じる何かがあるのだ。彼らも虐げながら依存をしているのだと。 だが、そこから仲間意識が働き、話がはずんだり取引先になってしまったりなど、様々ある。同じ境遇だからこそ話が進みやすいという点や、同じ空間を共有し心で通じ合っているなどの仲間意識の働きが、そのような結果をもたらしているということもある。 以前、留年してしまった際に食事に招待してくれた他大学の教授も、たばこは嫌いだが、コミュニケーションツールとしては認めざるを得ないと言わしめてしまったものだ。 また、これは私が共感することだが、芸人の千鳥の大悟がテレビで話していたことであるが、健康に人一倍気を使い、自身のために頑張り、運動や食事・日常生活を良くしていて、病院で「あなたは、癌です。」と言われたなら納得は簡単にはできないだろう。しかし、散々好き勝手やり、「あなたは、癌です。」と言われたら、「ああ、あれだけ好き勝手やったのなら当然である。」と結論付けることができるという理論なのである。 一見好き勝手やっている バカな理論 であるが、私はその理論に惹かれてしまった。現に好き勝手やっているからである。 自分の努力が報われなければ、それはとても残念な気持ちになるだろうが、こうしていれば仕方ないなどという、諦めや自己完結な理論である。世の中は堅苦しく、自己満足だというからには、この人生一度きりで何事も好き勝手やり暴れられた者が勝ちなのではないだろうか。 最後の病院のベットで、笑いながら楽しい人生であったと言えた者の勝利なのである。 だからこそ、 自分が満足するまで